グラウンドから聞こえてくる野球部の声。
茜色の空。

私は誰もいない教室の中、窓際の席で日誌を書きながらグラウンドにいる志波君の声を聞く。


志波君、本当に野球部に戻れてよかった。
途端にとても嬉しい気持ちになって、口元が笑ってしまう。



その時、廊下から おや? という声を聞いた。
聞きなれた、若王子先生の声。

「やや、今日日直だったんですか?」
「若王子先生。はい。今日は日直です」
「だから・・玄関で待ってても見つからなかったんですね」

先生、君の事探してたんですよ

そう言いながら教室に入り、私の座る席の前の席の椅子に座り、
顔をこちらに向けて笑って私を見ている。

「待ってたんですか?」
「はい。一緒に帰ろうとおもいました。でも・・日直だったんですね。
 ごめんなさい、気づかなくて」
「いえ・・私に何か用事ありました?」
「・・むう。意地悪はいけませんよ?」
「ごめんなさい、貴文さん」

わざとそっけない態度をとると、貴文さんはぷくっと頬を膨らませた。
それを見て私は噴出してしまった。
私達は本当は・・そういう、関係なのです。

「丁寧に日誌を書いているんですね。感心感心」
「だって、綺麗な字で解りやすく書いた物を貴文さんに見せたいから・・」
「僕の為でしたか・・ありがとうございます」

拗ねた態度から一転、穏やかな表情になる。

「日誌読むのが楽しみです。
 それより・・さっき、何でニヤニヤしてたんですか?」
「さっき?」
「ほら、僕が教室に入ってきた時です」
「あー・・」

志波君が野球部に戻ったのが嬉しかったんです。
なんて言えなくて。


「・・・・・・秘密です」


日誌を書きながら下に俯き、バツの悪そうな言い方をする。
冷や汗をかきたくなるような雰囲気の中、貴文さんの表情を見ると・・
やっぱり拗ねた顔に戻っていた。

「・・隠し事ですか・・むむ。これはいけませんね。
 教師に隠し事は、非行の始まりです」
「あ、いや・・悪いことじゃないんです」
「じゃぁ・・なんですか?」

適当に嘘をつくのも嫌だった。
でも、この真剣な貴文さんの表情を前に、志波君の話をするのも怖い。
元はといえば、そんな隠す事ではなかったのかもしれない。
隠してしまったから・・逆に意識してるって思われてしまう。

私は真剣な表情の貴文さんに見つめられ、心の中は既に汗だらけだった。





その時、グラウンドから大きな声がした。

『志波ー!ナイキャー!!!』

この雰囲気の原因であるその人の名前に、私は大きく肩を動かした。

閑散とした教室の中で、私の顔色だけ恥ずかしい赤色に変わってゆく。




「・・・志波君を、見てたんですか?」
「あ・・」

貴文さんの正解な問いに、私は声を出して反応してしまった。
否定するわけでないその言葉は、肯定といっても嘘ではない。

「むぅ・・」
「あの、その・・そういうわけじゃないんですよ」

もう自分がいい加減グダグダすぎて恥ずかしくなってきた。
何をいっているのか解らなくて、穴があったら入りたくなってきた。

「いや、君が誰の事を考えていようがそれは良い事なんです
 でも少々、先生は自惚れてたのかなって思ってしまいました」

シュンとなった貴文さん。
それを見たら凄い悪い気がしてきて、もの凄い嫌悪感が自分を襲った。

「や、違うんです!わ、私はそういう意味で志波君のことを見ているんじゃなくて、
 もちろん、ニヤニヤしてたってのも!ニヤニヤじゃなくて、微笑ましいなぁ!って笑ってただけで!
 それより私が言いたいのは、貴文さんは自惚れじゃなくて・・・・・・・・その・・あの・・」

必死に弁解したかった。
席を立ち、怒涛の勢いで言いたいことを全部言ってしまったら・・・
自分の言っていることに冷静になって、今度は恥ずかしくなってしまった。


「・・顔、真っ赤です」


私を見上げる冷静な貴文さんの言葉に、彼の視線が本当に恥ずかしくなって
席を立ったままの私は教室の隅まで走っていってカーテンに包まって貴文さんに背中を向けた。






「逃げちゃいましたね」
「・・逃げました」

私は何を言ったんだろう。
私達は別に付き合っているわけではない。
でも、色々デートもするし・・多分、貴文さんの過去を知る唯一の生徒で・・
先生と・・生徒で・・・

自惚れているのは、私だ。

「なんで、泣いてるいるのですか?」

声、震えてます。

カーテン越しに聞こえる貴文さんの声はどこまでも優しかった。
それなのに、私は逃げて、一人穴にはまって、抜けせずに泣いているだけだ。

「・・誤解されたくなかったんです」
「うん。それは伝わりました
 じゃぁ、その涙は僕のせいですね」

違うんです、という前に貴文さんが私の包まるカーテンの中に入ってきた。

「はい。ハンカチ」
「ご、ごめんなさい」
「謝らないで」

私は差し出されたハンカチで顔を隠した。
やっぱりまだ恥ずかしくて、あわせる顔がない。

「これって、青春ですよね
 先生、ドキドキです」

私を慰める様に笑った声。

「・・・・まだ、泣き止んでくれませんか」
「ご、ごめんなさい」
「・・・先生こそ、ごめんなさい。
 僕が変なやきもち焼いたせいで君を泣かせてしまった」


その時、私は貴文さんの胸に引き寄せられた。
あ、 と声がもれて貴文さんを見上げる。

「カーテンの中なら、誰にも見られません」

私達は放課後の教室の中、カーテンに包まって抱き合った。

「本当は、僕のために一生懸命日誌を書いてくれてるだけで。・・・嬉しいです」
「・・はい・・」
「だから、泣かないでください。僕は今幸せです」

ね?
笑って貴文さんは私の頭を撫でた。

「でも・・」
「うん。君が別の事を考えてるのは、それはもちろん当たり前のことです
 少し・・子供すぎました。ごめんなさい」

それでも、貴文さんを少しでも不快にさせたのは本当で
私は少しでも貴文さんを喜ばせたくて、抱かれているだけだったけど、こちらから強く抱きしめた。

「・・さん」

貴文さんもいつもと違う呼び名で呼んでくる。
ちょっと恥ずかしかったけど、凄く嬉しかった。

「少し・・いい?」

私の体を離し私を見下ろす貴文さん。
その表情は微笑んでいて、少し頬が赤かった。

「子供すぎたと思います・・でも、やっぱりいつでも君を独占したいと思うんです」
「え・・」

貴文さんは戸惑う私の肩に手を置き、体をかがませ顔を近づける。
それが何の為の行動かはすぐ気づいたけど、どうすることも出来なくて。それでも、瞳を閉じることだけはできた。






「佐伯ー!!!ふざけんなてめぇ!俺様が直々にギター教えてやるっつってんだよ!!」
「そういうことは大声で言うなよ!!」
「お前が逃げるからだろが!!」
「針谷が追いかけるからだろ!!!」


もの凄い足音と、叫ぶ声が走った。音だけでなくて、大きな男二人も走った。
会話の内容もばっちり聞こえたし、それに応戦する野次の声もどこからか聞こえてくる。


『・・・・・・・・・・』


その出来事に驚いて私と貴文さんは思わず動きを止めてしまう。
そして次の瞬間にはお互い噴き出してしまって、笑いが止まらなくなった。

「佐伯君、ギターしてるんですね」
「凄くヘタクソだって、自分で言ってましたよ」
「そうなんですか、針谷君に教えてもらえばいいのに」

私達は笑いながら二人のことを話し合った。
そしたら貴文さんは、あっ っと言って、これも志波君の事と一緒ですね っと言った。

「僕が知らない誰かの事を知ってる君。それを妬いちゃったんですね。今更恥ずかしいです」

申し訳なさそうに恥ずかしがる貴文さんを前に、私は少し考える。

「でも、私も・・私の知らない誰かと仲良しな貴文さんを見ると・・少し妬いちゃいます」

それは当たり前にあることで、それでも、好きな人だと妬いてしまう。
そんな些細な事なのだけれど、やっぱり独占したい気持ちは同じだった。

「じゃぁ・・・ちゃんと、僕の事も想ってくださいね」
「・・もちろんです」
「僕も、さんのこと一番に想っていますよ」

照れくさそうに向き合って笑う。
二人とも好きとはいわないけど、分かってる。
この気持ちは一方通行ではないということを。
そしてそれを口に出して言うには少し早いことも。



野球部の声がまた遠くからして、もちろん志波君の声も聞こえた。
カーテン越しに入ってくる太陽の光は、相変わらず茜色だ。


「・・日誌書き終えたら、一緒に帰りましょう」
「はい。もちろんです」


今度から野球部の声を聞いたら、今日の日の事を思い出すかもしれない。


貴文さんとカーテンに包まって抱き合ったこと。
・・キス未遂もしたこと。
もっと貴文さんのことを好きになっていったこと。

日誌を書き終えて二人きりで帰っている途中に、
明日からはもっと貴文さんの事を考えてしまいそうだ と言ったら

「それは嬉しいです」

貴文さんは笑って私の手を握った。